今泉のイタリアン「Cernia」(チェルニア)といえば、8年前にオープンした福岡を代表するイタリアン。こぢんまりとした店ですが、すぐには予約も取りづらい人気の店です。その「Cernia」が今年の2月末で店を閉め田主丸に移転します。東京出身の畑シェフが、福岡の今泉を経て、今、なぜ田主丸への移転を決意するに至ったのか。その真相を聞いてみました。
関連記事 田主丸に移転し、全く新しくなったイタリアン「チェルニア」の全貌 はこちら
東京出身のシェフが、縁もゆかりもなかった福岡で開業
オーナーシェフの畑亮太郎さんは大阪で生まれはしたものの、その後ほとんどの人生を東京で過ごしました。高校を出て東京の調理師学校を出てレストランに就職。いくつかの店で働くなかで、イタリアでキッチンに立つ経験を積むこともできました。そして当時勤めていた「アロマフレスカ」がアミュプラザ博多の「くうてん」に出店することになり、縁もゆかりもない福岡に住み、シェフとして働くことになったのです。
今でこそ福岡は全国的に食のレベルが高い都市と言われますが、その頃、特に洋食部門はあまり注目されていなかったので、あまり嬉しい転勤じゃなかったのではないですかと尋ねると
「正直、迷いました。上司には『少し考えさせてほしい』と伝え、東京で独立することも含め検討したのですが、最終的に、距離的に近くなる生産者への興味、そして彼らとのかかわりが今後の料理人人生にプラスになるんじゃないかと考えて、福岡に行くことにしたんです」
と話してくれました。
畑さんは20代後半くらいから生産者への思いが強くなって、いずれは自分でも野菜を育ててみたいし、店の横に畑も持ちたいという漠然とした考えを持つようになっていたそうです。東京でも時々生産者を訪ねることはあったそうですが、物理的にも精神的にも距離を感じていて、だからこそ、福岡への転勤を前向きにとらえることができたのでしょう。
「くうてん」のオープンは2011年3月2日。つまり、その直後が東日本大震災です。系列の東京のレストランもそれまでのような状態ではなくなり、ヘルプに来てくれるはずだったスタッフも、とてもじゃないけど福岡を手伝ってる場合ではないということになり、初めての土地、そして初めての大きな商業施設での営業ということで、わからないことだらけだった畑さんは、それこそ休む間もなくがむしゃらに働きました。なにせ、どこから食材を仕入れたらいいのか、生産者どころか卸の会社もわからないのですから。そんなとき、いろいろなところを紹介してくれた人のうちの一人が、当時同じフロアの「オーグードゥジュール メルヴェイユ 博多」の白水鉄平シェフ(現「L’eau Blanche」オーナーシェフ)でした。同じ世代で、同じ東京からの転勤組という共通項もあり、悩みや課題を共有し、切磋琢磨していきました。
やがて畑さんは「アロマフレスカ」を退社し独立開業することを決めます。元々、転勤の話を聞いたときには、数年福岡でシェフを努めた後に東京の店に戻る、あるいは東京で開業することを考えていたそうですが、わずか1年ほどの福岡生活のなかで、自分の店を出すなら福岡にしようと決意したそうです。
いずれ自分の肥やしになると思い生産者との距離が近い福岡に来たわけですが、九州の生産者や食材に惚れ込んだ畑さんは、もはや東京に戻ることは考えなくなっていきました。もちろん、そこにはその間に知り合い今は店でサービスを担当する梨絵さんとの出会い(当時梨絵さんはまったく違う職業)、結婚が要因の一つであったことは言うまでもありません。
また、両親が福岡に来たときには、糸島、宗像、うきはなど、自分が惚れ込んでいる生産者のところに連れて行ったそうなのですが、両親も彼らと直接会い、話をした後に「東京に戻らなくていい。福岡でやった方がいいんじゃないか」と背中を押してくれたそうです。
イタリアのワイナリーで見えた将来の自分の姿
2003年に自身の店をオープンしてまもなく、これまで玉子を仕入れていた「ゆむたファーム」の高木雄治朗さんの畑を間借りして手ほどきを受け始めます。「ゆむたファーム」はそもそも野菜作りが生業ではなく、卵を産む鶏の餌のために野菜を作っているのですが、その“循環”を目の当たりにした畑さんは、高木さんの生き方そのものに傾倒し、みるみるうちに野菜作りにハマるとともに人生観も変化したようです。そしていつしか「トラクターまで買うとはまったく想像してませんでした」というほど畑は広がっていき、2020年には那珂川市にも畑を借りることになります。
野菜を作り、自身の店で提供していくうちに、食材へのこだわり、生産者とのつきあいはさらに深くなり、「赤司農園」の桃のフルコースや柿のフルコースのイベントをやったり、周りの飲食店仲間と一緒に“生産者が主役”というコンセプトの「ナチュラルピクニック」を開催したりするようになります。私もそれらのイベントに参加してきましたが、自分たちの育てた食材をシェフたちが余すところなく使い、見たことも食べたこともない料理に仕上げ、それらをお客さんたちが笑顔で食べている姿をみたときの、生産者のみなさんの嬉しそうな顔が忘れられません。飲食店の料理人と違って、生産者は普段自分の育てたものが消費者の口に入るところを見る機会は少ないので、こういう機会をとても喜んでいました。
トスカーナの「パーチナ」でごちそうになったとき。最後の写真は自家栽培した無農薬の豆を使った料理。この地方では豆をよく食べるそうです。
3年ほど前から「いい場所があったらもっと畑に近いところに移転しよう」と具体的に考えるようになり、物件を見に行き始めます。そして昨年遂に田主丸の耳納連山の麓に理想的な物件をみつけたのです。2階建ての古民家で、1階をレストランにし2階で暮らすそうです。眺めのいいテラスもあり、気候がよいときには最高のプラチナシートだそうです。
店の裏手に畑を作り、そこで収穫したものや近隣の食材によるコース料理を提供していく予定のようです。これまでの「Cernia」はアラカルトでしたが、これから畑さんがどんなコース料理を出していくのか。そして田主丸で生活していくなかで、周りの生産者の方々との濃いおつきあいに刺激を受けてのさらなる進化が楽しみです。
作る料理はまったく違うでしょうが、もしかしたら和歌山の農園レストラン「Villa aida」のように、全国からこの店をめがけてお客さんが押し寄せるようになるかもしれません。
畑さんは「いつの日か、この地で生産者、飲食店、物販店、宿、住民など、さまざまな人や店舗がいい循環をもったコミュニティを作ることができて、ぼくたちもそのなかの一軒になることができたら嬉しいですね」と話しますから、いずれ遠方のゲストが何泊もしてうきは・田主丸エリアを楽しむようになるかもしれません。いや、すでに現在も、うきは・田主丸にはさまざまな人が移住し個性あるエリアになりつつあります。同じ福岡県の糸島は全国ブランドになりましたが、糸島以上に「行ってみたい町、住みたい町」になる日が来るかもしれません。そして後になってみると、糸島で「ビーチカフェ サンセット」がそうであったように、今回の「Cernia」移転もまた、そのきっかけの一つだったと言われるのではないでしょうか。
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