上野万太郎の「この人がいるからここに行く」【第9回】

珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ(天神)

公開日

最終更新日

ライター上野万太郎

カメラマン吉野菜百里

珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ

上野万太郎

ここ10年間、カレー店と珈琲店やカフェを中心に年間外食はのべ1,100軒以上。本業の傍ら、外食写真日記的なブログ「万太郎.net」で福岡を中心とした飲食店の人々やお客さんと関わったエピソードを発信。著書は「福岡カフェ散歩」(書肆侃侃房/2012年)、「福岡のまいにちカレー」(書肆侃侃房/2014年)。
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天神に現れた不思議なコーヒー屋台

2019年10月に日本銀行福岡支店前にオープンした屋台が各方面から注目を集めている。スイーツも料理もないコーヒーと蒸留酒のみを提供する屋台だ。その名も「珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ」
店主の菅原武春さんは飲食業の経験もないまま50歳を過ぎて脱サラをしての開業だった。福岡市には現在約100軒の屋台が営業しているが、コーヒー屋台というのは他にはない。通常は焼鳥、ラーメン、天ぷら、おでん、餃子などの料理を中心に酒の売上で経営を維持するというスタイルだ。

席数の少ない屋台で客単価の低いコーヒー販売でどうやって採算がとれるのだろう。コーヒー1杯が数千円するならまだしも普通のカフェと同じく今でも600円(チャージなし)で営業するという不思議なビジネスモデルなのだ。
そして、もう一つ不思議なことがある。それは、構造的に個性的な特徴をもつ屋台そのものの作りだ。一般の屋台は組立も撤収もそれぞれ1時間もかからないリヤカースタイル。しかし菅原さんの場合、毎日完全に解体してワンボックスカーに積み込んで撤収し、そして次の日にまた一から組み立てて営業するというもの。組立時間と解体時間を合わせると慣れてきた最近でも5時間かかるのだ。営業時間が5時間、組立と解体の時間が5時間というまったくもって非効率な営業スケジュールを繰り返している。
今回は、菅原さんがそんな屋台営業をどうして始めたのか。そして今後はどうしていきたいのか。その辺りについて探ってみた。

(動画撮影編集:リズムデザイン)

菅原武春さんの経歴

菅原さんは福岡市出身。京都大学経済学部を卒業してサントリーに入社した。当時はまだバブル崩壊前で同期の新入社員が400人もいたそうだ。最初の配属先で缶コーヒーや炭酸飲料の商品企画を担当。新人時代からヒット商品誕生にも関わり充実した社会人生活がスタートした。
3年くらい経過した頃、このサイクルで仕事していても人生の先が想像できることにちょっと不安を感じ、他部門への異動を希望。酒販店営業を1年半頑張ったが成果が出なかった。自分には営業は向いていないと実感。さらに広報部へ異動してマスコミ対応の仕事を5年。次に宣伝部でウイスキーの広告企画等を3年担当した。
サントリーでは仕事の仕方や考え方の基礎を学んだ。サラリーマン、会社人間としてはそつなく無事に過ごせたと思うが、自分の力というよりはサントリーという大きい看板があってこそ仕事が出来ていたことを日々感じていたという。

そもそも出世欲が少なかった菅原さん。サントリーの看板の下でなく、個人としての社会的な価値はどんなものなのか。自分しかやれない仕事はないのか。会社と仕事するのではなく、「誰か」と仕事をしたいと思うようになっていた。
僕ら世代の人間からするとサントリーの広告担当と言えば時代の花形仕事。全くもって羨ましい限りではあるが、菅原さんは勤続12年、宣伝部を最後にサントリーを退職する道を選んだ。

サントリー退職後は、大学時代の先輩に誘われて経営コンサルタントの仕事に就いた。長くここに居る予定はなかったが、その先輩と一緒に仕事をしてみたかった。チマチマしていない思い切りの良い性格の先輩への憧れもあった。「この人と一緒に仕事をすると面白いことが起きそうな予感がしたんですよね」と菅原さん。1年半だったが充実した時間を過ごせたそうだ。
その後、焼酎メーカーや飲料メーカーを経て、46歳の時に地元福岡の食品会社に転職。マーケティングや広報の仕事を5年間担当し、自分のもっているスキルを発揮した。

サントリーを退職後、少し小さな企業で仕事をしてきた中で、小さな組織のほうが自分の仕事の幅が広くなりやりがいがあることを実感していた。
そんな頃だった。福岡市の屋台公募のニュースをテレビで観たのだ。

珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ

屋台「珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ」を開業

「なんとなく面白そうだなぁと思って妻を誘って屋台公募の説明会に話を聞きに行ったんですよ」と菅原さんは当時を振り返る。説明会が終わって奥様に「面白そうだね」とやる気のある所を見せると、奥様は「あんなに大変な話を聞いて、面白いと思える貴方がすごいわ」と少しあきれた様子だったらしい。
「やる」という結論を出したのは早かった。「この時点では確か『ビジネスモデル』という発想は全くありませんでした。どういうことをやったら面白いか、お客さんに喜んでもらえるか、話題になるかということばかり考えていた気がします」と菅原さん。色々な人に「屋台をやろうと思っている」という話を振って、色々な意見を集めていた。そのうちの何人かは心配して遠回しに「やめた方がいい」と言ったようだが、本人は「どうやったらやれるか」しか考えていなかったため、止められた記憶がないらしい。

合格者の発表がある1ヵ月前くらいに家族会議を開いた。それまで反対姿勢だった奥様が最終的に同意してくれたのは、「どうしてもやりたい」という菅原さんの必死さと「2年経ってダメだったら辞める」という2点があったからだ。
「やることが決まった瞬間からは、妻は応援モードに変わっていました。多分今でも相当心配だと思いますが、そういう素振りは全く見せないようにしてくれています。ありがたいです」と奥様への感謝の気持ちもずっと忘れていない。

公募の審査に合格し営業許可を得た菅原さんは2019年10月に「珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ」を開業した。菅原さん51歳の秋だった。

「珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ」
「珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ」

提供するメニューは、ハンドドリップコーヒーと蒸留酒のドリンクのみ。珈琲豆は平尾の「ロースターズコーヒー焙煎屋」にお願いして中煎りのオリジナルブレンドを作ってもらった。蒸留酒はそのコーヒー豆を使って焼酎やウイスキーをアレンジして提供。コーヒー業界にいたわけでもないので、特に商品力があるとは言えない。では何で勝負するか。菅原さんは、屋台そのものを体験してもらえるような空間にしたいと考えた。
福岡の屋台の客は地元の人よりも観光客が多いと言われている。特に若い福岡市民は屋台に行ったことがないと答える人も多いだろう。菅原さんは観光客だけでなく地元民にもそして若い人でも入り易い屋台を作ろうと思った。そしてその屋台そのものが話題になるようなモノでないといけないと考えたのだ。

コンセプトは、屋台に来ること自体が楽しい体験になるような空間であること、写真を撮りたくなるような美しくデザイン性が高いこと、将来的には遠方のイベントなどに出店も出来るように解体してワンボックスカーに積み込むことが出来る構造であることなどを決めた。
屋台の設計とデザインは前職でつながりがあった「リズムデザイン」の井手さんにお願いし、試行錯誤の末、菅原さんが考えていた屋台が完成した。
そして営業を始めるとほどなくして、直線を基調としたスケルトンのデザインが話題を呼んだ。

珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ
珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ

冒頭にも書いたが、毎日組立と解体に5時間もかかるが、逆にそれも話題になった。そんな大変な営業スタイルを選んだ菅原さんに興味を持つ客が増えていったのだ。菅原さんの人当たりの良い柔らかな接客も良かった。さらには高学歴や過去の就業歴からくる知的な話題や雰囲気がそれを好む人たちをも呼び込んだ。

しかしである。満席で最大8席のみの小さな屋台。コーヒー1杯600円の積み重ねだけではどう考えても売上に限界があるのは自明の理である。蒸留酒の単価はもう少し高いがそれでも居酒屋のように何杯もガンガン飲む客が来ることは想定していない。
「東京時代の友人たちもたまにやって来てくれるんですが、みんな口には出さないものの『大丈夫か~?』と心配になって顔を見に来てくれてる感じの人がほとんどですね」と苦笑い。
「長年経験していた宣伝の仕事というのは、商品の話題を作りいかに多くの人に認知してもらい人気を作り上げるかが大事だったんですよ」と菅原さん。
「まさに今、コーヒー屋台としてやってることですよね。そこまでは大成功してますよね」と返すと、「そうなんですよね。結局そこで満足してしまって売上のことが後回しになっているのがダメなんですけどね」とまたも苦笑いを浮かべる。

珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ

最後に

開業して半年でCOVID-19による屋台全体の営業自粛期間が長く続いた。しかし、国からの協力金もあったので逆に安泰だったかもしれない。これからが生き延びるためのビジネスモデルを本気で展開していく必要がある時期だと思う。
既にやっているオリジナルデザインのTシャツ、ステッカー、手ぬぐい、そしてオリジナルブレンドの珈琲豆などの販売だが、これは屋台が有名になればなるほど売上もアップするだろう。映画やテレビ、雑誌などの撮影現場としても利用させて欲しいというオファーも増えてきており実際に使われているそうだ。コーヒーと蒸留酒の販売だけでの売上というよりは話題になることによる二次効果まで期待してのビジネスモデルを作りあげる必要がありそうだ。しかし、菅原さん本人もはっきり言ってその最善の答えはまだ出せていないという。

福岡市の公募による屋台営業の許可は10年と決まっている。もしそれ以上続けたい時は、振出しに戻って新規に公募に申し込んで審査を受ける必要がある。
「なんだかんだ言いながら、もうすぐ丸3年になろうとしてますよね。10年経ったらどうします?」と聞いてみた。
「たぶん経営はずっと楽ではないと思いますが、10年経っても出来れば継続したほうが良いんじゃなかろうかと思い始めてるんです。コーヒー屋台という儲からない商売は今後誰も参入しないだろうから、街の風景というか夜の福岡の機能として残しておいたほうが良いんじゃないかなと……。コーヒー屋台がある夜の街って良くないですか?」とほほ笑む菅原さん。

本当に菅原さんって、良い意味でどれだけ呑気で幸せな人だろう。これだけの企画力と行動力を持っていれば世の中、金儲けの方法なんていくらでもある気がするが、この人はまったくそっちを向いていない。事業家というより芸術家タイプなのだろう。ここまで来たらこの調子で10年後20年後まで福岡の街を、文化を、風景をデザインしていって欲しいものだ。

珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ

最後にもう一つ。ごちそうコーヒーという500円のメニューがある。これは「大将、ビール一杯飲んで」という飲み屋でよくある風景のコーヒー版である。客が店主に一杯ごちそうするというごちそうコーヒー。ある常連客の提案で生まれたメニューらしい。ごちそうコーヒーを注文すると菅原さんが「ありがとうございます。いただきます」とニコニコしながらコーヒーを淹れ始める。何杯でも飲めるそうなので是非一杯どうでしょう。

店舗名

珈琲と蒸溜酒 メガネコーヒー&スピリッツ

ジャンル

  • 屋台

住所

〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神4丁目2−1

電話番号

なし

営業時間

19:00頃~24:00頃

定休日

不定

席数

  • カウンター8席

メニュー

コーヒー600円、ごちそうコーヒー500円、コーヒーハイボール800円、生蜂蜜のジン900円、アルコール注文時は300円のチャージあり。

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